Que Sera Sera

Que Sera Sera (ケ・セラ・セラ) 徒然なるままに書き連ねていきます

ISIS 邦人拘束事件について思うこと

邦人2人がISISに拘束され釈放と引き換えに2億ドルを要求された今回の事件。

日本人がこのようなテロリズムと真正面から向き合うことになったのは、

一体いつぶりの話なのでしょうか?

 

私自身は30代のしがないサラリーマンなのですが、

記憶に新しいのは10年前のイラク日本人青年殺害事件です。

当時の小泉首相は「テロには屈しない」とし、自衛隊撤退要求には従いませんでした。

その結果、日本人青年は殺害され、遺体は後日バグダード市内で発見されました。

 

この時にも今と同じように所謂【自己責任論】を主張する声が多く発されました。

つまり、危険な地域へ自ら赴いたのだから、

どうなろうが(殺されようが)それは本人の責任である。

今回の事件で言うならば政府が2億ドルを支払う必要はない。

少し乱暴に言うとこういった主張のことです。

この【自己責任論】大きく間違っているとは思いません。

しかし、この論点だけを闇雲に主張するのは思考停止に陥っているとしか思えない。

 

一体誰が悪いのか?

この最もシンプルな問いに対しての答えは誰が何と言おうが、

【人質を取った側のイスラム国】であることは間違いありません。

拘束された邦人自身でもなく安倍首相でもなく日本国民でも、

はたまたアメリカでもありません。

必ず、話は原点とも言うべきここからスタートするべきです。

拘束事件が起こり、金銭の要求が行われ、人質の1名が殺害されたかもしれない、

事態は日を追うごとに深刻さを増していますが、

絶対に忘れてはならないのは、犯罪を犯されているんだ!という意識です。

この意識を強く持っていれば、あんな危険な場所に勝手に行ったんだから仕方がない、

などと軽々に言えますか?

被害者にも落ち度はあるよね、と本当に心からそう思いますか?

この自己責任論はテロリストのその悪行を、ある意味では軽くしているとさえ感じます。

 

単純な自己責任論に逃げるのはやめましょう。

罪を犯していない人間が殺されてもしょうがない、なんてことはあり得ません。

とりあえず、私の拙い頭で感じたのはそれだけ。